日本史ー戦国物語

日本史ー戦国物語

日本史ー戦国物語試み案

第1回
●日本は、アジアの東のフロンテイア(新天地)であった。ユーラシア大陸の民族移動の
中、また、アジア大激動の中、騎馬民族(トルコ、ペルシャなど)、中国、韓
などの政治闘争、戦争などで、亡命あるいあhあるいは、移住してくる人間
を受け入れていた。ある意味で、昔のアメリカ合衆国である。そのフロンテイアで
ある移住してきた民族は、昔から住んでいた大和民族と
ひとつの国家とまとまっていった。

国家建設の、より、大きなきっかけは、「白村江の敗戦」(663年)である。
大和朝廷は、中国の制度を取り入れながら、独自の政治形態、文化を創り始まる。
諸民族の連合国家であるゆえに、変化に対する適応能力は高い民族、国家として
まとまっていった。

日本の国土は、日本国家のものであったが、支配階級の貴族は、自分たちが都合のよいように法を
みづから無効化し、土地を私有化しはじめる。国家財政はこれにより
傾き始める。その間も大和政権は、日本の東北への侵略戦争を開始し、その政治範囲を
増やしていく。その軍事は、蝦夷討伐のための征夷代将軍に任せれれていた。
天皇ー摂政藤原氏の2重構造の権力機構が成立するが。

関東ー東国には、渡来人に加えて、天皇につながる源氏、平家の武装開墾団(武士)が
が力をつけまじめ、みづからの土地所有権を主張しはじめる。
血統のよい「土地私有権の主張者」たちの代表(源頼朝)は、天皇の宗主権はそのまま、みづからの政権を樹立することに成功する。

この鎌倉幕府から、江戸幕府まで、征夷大将軍が政権をにぎる長い「将軍の時代」が始まる。
この時期、13世紀、人類史上最初の世界大戦であるモンゴル戦争(モンゴル対仏教対イスラム)が起こるが,武士の活躍と天候の影響で、辛くも、世界を一時期支配した「タタールのくびき」からは逃れる。元寇。しかしユーラシア世界は、モンゴル帝国によってはじめて統一される。

16世紀のアジアへのスペイン、ポルトガルの攻勢にあたっては、日本史上、最大の
変革者、織田信長の時代であり、100年間つづく、戦国時代で、武器能力戦闘能力は
世界のトップクラスにあった。織田信長は天下布武をテーマに日本を統一しょうとしていた。
宗教的権威など古い日本の旧体制を力づくで滅ぼそうとしていた。

第2回
当時の最新兵器で、西欧の植民地獲得戦争に需要な秘密兵器である「鉄砲」は
、当時の中国海商(倭寇)、王直のたくらみにより、伝来した可能性は高い。
(王直は、火薬に必要な硝石の輸入で儲け、本拠地を日本の五島列島に移した)
鉄砲は、適応能力の高い日本人によって改良され、戦法も開発された。西欧各国は
日本人の戦闘能力が一層あがり、出鼻をくじかれる。

1540年くらいから朝鮮の銀市場は混乱を起こしていた。
なぜなら、石見銀山(現島根県)で発掘される銀は、一時,世界の1/3をの量を産出するほどの埋蔵量があり。貿易の限界をこえつつあった。中国、欧州においても、日本銀(石見銀山)の名はなりひびくようになっていった。

南シナ海では、日本人、中国人、ポルトガル人、イスラム商人など
炊く国籍の海賊がいりみだれ、貿易や闘争が繰り返されていた。
一種の独立的な協栄圏(海上王国)が存在していた。

ハプスブルグスペインは、マニラを押さえ、国王フエリペにちなみ、国名をフイリッピン(1571年から)とした。ポルトガルはマカオをおさえ。オランダは、ジャワを領有し、また、台湾にゼーラジア城を建設した。

信長の後を受けた秀吉は、ポルトガル、スペインが、中国大陸を狙っている事にきづき、先手を打って中国、フイリッピン、台湾への侵攻計画を考えていた。

日本統一過程で、九州征伐についた秀吉は、長崎がイエズズ会に領有され要塞化が進んでいることや、九州を中心に、キリスト教徒が増えている事に危惧をいだき、キリスト教禁教を宣言する。

当時の日本人口1200万人で、公式には約70万人である。(別統計では約300万人いたとう
資料も。オランダの人口が1500年100万人1600年200万といわれている。)十字架(クルス)の旗の下に戦っていた秀吉下の大名にも棄教を命令する。

朝鮮侵攻は、秀吉の死で、休戦におちいったが、伏見城は、大東亜支配のために根拠地として設けられた城であり、名護屋城(現佐賀県)は、前線基地の城であった。


日本史ー戦国物語

第3回
徳川家康によって江戸幕府は成立するが、外国人協力ブレーンとしてスペイン、ポルトガルと世界で覇権を戦っていたイギリス、オランダ人をその政府顧問とした

1637年、元はキリスト教大名小西行長の領地であった島原でキリスト教徒の反乱が起こった。キリスト教徒は、日本各地にのこるキリスト教徒と、マカオ、など外国への支援の密使を贈る。
江戸幕府は、対抗するために、スペインとは独立戦争中であるオランダの協力を得て、島原キリスト教反乱軍に対して、江戸幕府と軍事同盟を結んだオランダ船の艦砲射撃を行う。

乱の後、1639年鎖国は完成するが、4つの口を用意していた。
長崎(オランダ、中国)、松前(蝦夷地)、薩摩(琉球王国)、対馬(李氏朝鮮)
自国民の海外渡航は禁止された。このため、東南アジアに当時2万人いたといわれた日本人、そして日本人町は順次消滅していった。

1853年、アメリカのペリー艦隊の出現で、日本は新しい時代になる。
今までは、中国を文化政治の源と考えてお手本として当地してきたが、この事件以降、アメリカ・イギリスなど西欧国家を手本とする大変換した。鎌倉幕府(1192-1333)室町幕府(1336-1573)江戸幕府(1603-1867)という、鎌倉から始まった武家政治は、自らの武士階級消滅という革命を経て近代国家へと生まれ変わった。新しい渡来人である西欧人から
国家体制、経済、文化などを習い、みずからの日本に会うものと消化していく。
西洋・日本文化の混合的な国家となる。

4回
このように遅れて登場した擬似西欧国家(精神は神国)だったが、世界植民地獲得の時代が
おわりつつあり、ナポレオン戦争以後のウイーン体制を保持していた西欧各国もその相互戦争で国力を消耗させた。第1次、第2次世界大戦の30年戦争(1914-1945年)である。

ロマノフロシア(1613ー1917)、ハプスブルグオーストリア
(1438-1918)、オスマン帝国(1299-1922)、ドイツ帝国(1918)
清(1636-1911)などの古い帝国が解体していった。第1次大戦後は東欧で、第2次世界大戦後は、西欧の植民地が独立していった。

神としての天皇を中心とする日本帝国であったが、植民地解放のテーマを掲げたが、東南アジア各国の協力は無理強いとなりがちで、西欧やアメリカとの
石油資源戦争に、物量、総合戦略能力の差はいかんともしがたく敗北し、アメリカの支配下にはいる。
1951年、独立国として復権されるが、世界の覇権国家となったアメリカとの関係調整が、国家戦略の要(軍事同盟、基地貸与など)となり現在にいたる。

●無論、キリスト教を無論、批判しているわけではありません。

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