イエズス会日本占領計画

イエズス会日本占領計画

「日本占領計画」

1587年5月、イエズス会日本準管区長、ガスパル・コエリヨは、宣教師たちの緊急会議を開く。場所は、平戸の沖合いにある度島の洞窟である。

「日本のキリスタン領主を集めて秀吉に反乱を起こす、イエズス会は軍資金武器を集める。スペイン軍を日本に導入し、軍事要塞を作ること」をガスパル・コエリヨは提案した。

度島http://www.yado.co.jp/ship/f_takusima/
度島地図http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=33.26.26.145&el=129.32.24.304&la=1&fi=1&sc=6

■出展は、「ザビエルの謎」110ページ。

「江戸幕府と東アジア」

イエズス会日本占領計画2「島原の乱」について

さて「江戸幕府と東アジア」には「島原の乱」
いままでと違った説がどんどんでてきます。

1.原城の発掘結果から、島原の乱は、あきらかにキリスタン反乱であった(ページ298)
指導者は、イエズス会影響下のキリスタンである。

2.原城は、廃城ではなく、幕府への届けは、廃城であってが、修復後20年もたっていない城郭建築であった。(ページ299)

3、島原から江戸までより、琉球首里の方が近い。江戸と中国ニンポーと同じ距離である。(ページ294)

4.籠城した約3万7000人。途中で5-6万人が入城していた。この乱の30年前、慶長15年には、日本のキリスト教徒は約175人・人口の約10パーセントであった。(ページ311)

籠城側は、日本全国に援軍を要請した。

5.日本が内乱状態になり、本当の援軍が到着する可能性があった。中国にあるポルタガル領マカオがある。当時のポルトガルのアジア最大拠点である。一揆側の援軍本命はポルトガルではなかったか(ページ311)

6。オランダはそのスペイン・ポルトガル国王ハプスブルグ・フエりぺ2世(スペイン、ポルトガル国王をかねていた)からの独立80年戦争(1581年から)の最中であった。

7.幕府は、オランダ船から原城を攻撃させた。また、同じ時期インド、ゴア沖で、ポルトガルとオランダ艦隊の会戦が行われている。
(ページ312)

8.乱終了後、首謀者4名の首だけは、長崎出島橋、ポルトガル商館前にさらされた。(橋を渡るのはポルトガル関係者のみ)

9.ポルトガル澳門側は、日本征服、アリマ・ナガサキ植民地化は行われなかったが。幕府ーオランダ、一揆ーポルトガルの軍事同盟は明瞭であろう。ポルタガルは日本から放逐され、長崎出島には
軍事同盟者としての役割があるオランダが入った。(ページ316)

以上、まとめ。ぜひこの本「江戸幕府と東アジア」をお読み下さい。

イエズス会日本占領計画

西欧の異民族征服の秘密兵器[海外貿易から読む戦国時代]



この武光先生の本を読むと、東シナ海で大暴れの倭寇の親玉「王直」が、西欧の異民族征服の秘密兵器である鉄砲を伝えた。という感じですね。そして鉄砲に必要な硝石の輸入に一儲け。

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/eastasia/wanchi.htm
王直(おうちょく / ワンチー)がありましたので、利用させていただきます。

で、日本は、東アジアの経済発展の影響を受け、戦国時代。

しかし、東シナ海を通じ、経済交流は大発展。また、戦士の心を持つ大名が、西欧の異民族征服の秘密兵器「鉄砲」の有益性を捉え、西欧の征服の前に、日本の覇権を確立しょうとする。

その大名の名は、無論、織田信長。世界史上に、信長のポジションが明確に示されます。

さて、西欧は、アジアを征服にかからんとするが、日本だけは、秘密兵器「鉄砲」を自己で生産、改良し、戦法までの新しく開発する。

射撃もうまい。刀鍛冶が、鉄砲鍛冶に商売がえ。
日本人のお家芸、特徴である商品改良が働くわけです。とすると、西欧各国も様子を見ますわな。東南アジアにはたくさん日本人も住んでますし。

当時の日本人口も1200万人ですから、はるかに、ポルトガル、スペイン、オランダより多いですわな


イエズス会日本占領計画

「戦争のアート化」イエズス会日本占領計画6●西欧の勃興●マクニール「戦争の世界史」

●565ページの大著である。1982年刊行の本で、日本翻訳は、2002年です。
しかし面白さは保証します。
宋の時代からの西欧と東洋の相違が、明暗を分けた。
なぜ、西欧だけが、この世界の覇権国家群を作り出してきたか。

それは、「戦争のアート化」に拠る戦争のビジネス化、軍事と商業産業の相互作用であると、マクニールは言い切ります。

●15世紀までに、西欧は本当に使える大砲を作り上げます。
それを船にのせると、動く城(砲台)です。これで20世紀まで
航空機と潜水艦の登場まで、西欧軍事勢力の優位性が決まったと書いてあります
。(134ページ)
1465年から77年にフランスとブルゴニュー公国で開発された移動可能な攻城砲は、
子細な改良点を除けば、1840年代までつかわれた。された
西欧は、この攻城砲と火薬を持って火薬帝国となり、世界へ発展していきます。
(搾取していきます)(121ページ)

●中国、宋の時代に、市場経済が発展しかけるが、中国の内部、官僚組織に
より、この動きは封じられます。しかし、この動きはユーラシアの西の端、
西欧において、複数国家の競合するエリアであり、競争原理が働き、
発展していきます。


●動機付けは、専門職化された利益追求集団、つまり商人集団、と専門職業化された暴力集団{アートオブウオー戦争という技術に優れた集団}、つまり軍人階級が、組織暴力の商業化となり1500年から1900年の間、西欧の卓越した、ほかの地域に対する優位となったとします。


20世紀の軍産複合体の前身、「軍事・商業複合体」が民間経済を刺激。

つまり、商人から税金を集めた王侯が、それを資金に戦争を行う。軍人企業家化の支出が、民間経済を刺激、さらに税収が上がる。そして軍事力が高度化する。


●民族、国家など人間集団同士の相互作用が、突発的な変化が起こり歴史が変わる。
ある人間、集団は、食糧をはじめとする生活物資を自分で生産しなくてもいいように、暴力の専門家となる。マクニールの研究対象は軍隊組織である。

兵士、戦士が使う「武装の変化」は、内部制約がなくなり、新しい地理空間が搾取のために広がる。(1ページ)歴史上の「技術と軍隊と社会」の相互作用を、マクニールは、この本で語ります。

イエズス会日本占領計画

イエズス会日本占領計画6●世界史の誕生。岡田英弘歴史学

●岡田歴史学の本を紹介します。
岡田英弘先生の本を読むと
今まで疑問に思ってきたことが
すきっとわかる部分が、かなりあります。

まず[世界史の誕生]
では基本前提です。

●世界史は、モンゴル帝国とともに始まった。

●民族という概念は、19世紀に発生した新しいもの。
国家の概念も、フランス、革命、アメリカ革命から起こったもので
、それまでは、国家イコール君主の待ちものであった。
ーーーーーーーーーーーー
●モンゴル帝国が作った諸国民は、インド、イラン、中国、
ロシア、トルコ人である、すべて、モンゴル帝国の産物、遺産である、
●モンゴルはウルスという単位で構成され、
それぞれのウルスは、遊牧君主の所領であり、
大ハーンも、自分のウルスしか直営できず、他のウルス内政には干渉できない。
●モンゴル帝国によって、中央ユーラシアの遊牧民は、すべてモンゴル人の社会構成へと
入った。
モンゴルの東半分は清帝国となり、
西半分は、ロシア帝国となる。インドムガール帝国、
オスマン帝国(トルコ、西アジア、北アフリカ)もモンゴル帝国の
継承者である。

●中国という概念も考え直さればならない。
皇帝を中心とする世界で、出身の種族には関係なく
中国人という概念が、できた。
●中国の歴史は、ほとんど中央ユーラシアの遊牧民による
征服王朝である。
●清は、正式なるモンゴルの継承者であり、
中華人民共和国も、このモンゴル帝国の領土の継承者である。

岡田歴史学「世界史の誕生」

●中央ユーラシアの遊牧民が、それまでの世界史に
も影響を与えた、西欧を襲ったのフン族は、中国の匈奴であり、ゲルマン民族の移動を引き起こし、西欧の原型を作った。
一方、東洋では、中国と遊牧民帝国の戦いであり、
現在までの中国の歴史は、ほとんど中央ユーラシアの遊牧民により支配王朝である。
(これに関しては、別途、岡田先生の詳しい本があります。)
●日本の国家成立は、668年を持ってする。
白村江の敗戦によって、世界の孤児に
なってしまった倭人が、当時の日本列島にきていた
華僑といっしょになって、唐、新羅と対抗するために
作った国家である、天智天皇を持って初めての天皇の号を使い
、日本という国号をもち、近江令を持って初めての成文法となる。
(日本史に関しても、別途、岡田先生の本があります。)

●資本主義もモンゴルから始まる。
遊牧民の政治プラス定住型の経済の結合システム
により、治安と交通の便がよくなった。
経済活動が活発化する。信用取引の原理が稼動氏始まる。
世界最初の紙幣も、モンゴルが作った。
以上、モンゴルおよび、その継承国家は
すべて、大陸国家である。つまり、陸上運輸コストが

かかる。それに対して海洋国家は、港を抑え、小さい海軍力でも
制海権を握れる。大量の物資を低コストで
稼動できる。貿易により、大きな利益をうける。

●21世紀の覇権国家は、海洋国家であり、アメリカ、ヨーロッパ、日本である。軍事力を持つアメリカと、歴史で武装した、日本と西欧との対立構図である。

●西欧の大航海時代も、モンゴルにユーラシアを押さえら得たためにポルトガル、スペインが、直接交易を求めてインド洋、東洋にやってきた結果である、しかし、東シナ海は、それより先に、大航海時代に入っていた。
日本人倭寇である。後期倭寇は、中国人がほとんどで
その王が王直である。(鉄砲伝来は彼の仕掛けであると前に書きましたが)

●歴史観としては、ヘロドトスに始まる地中海ー西欧型歴史観と司馬遷の『史記』、司馬光による「資治通鑑」に始まる中国方の歴史の枠組みがある。地中海ー西欧型歴史観は、ヘロドトス、旧約聖書、ヨハネ黙示録が中心的な歴史認識としてあり、アジアを敵として認識している。それがキリスト教とあいまって、異教徒に対する思想となる。

要約です。この本を、是非お読み下さい

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