岡田英弘歴史学 ●世界史の誕生。

イエズス会日本占領計画6●世界史の誕生。岡田英弘歴史学

●岡田歴史学の本を紹介します。
岡田英弘先生の本を読むと
今まで疑問に思ってきたことが
すきっとわかる部分が、かなりあります。

まず[世界史の誕生]
では基本前提です。

●世界史は、モンゴル帝国とともに始まった。

●民族という概念は、19世紀に発生した新しいもの。
国家の概念も、フランス、革命、アメリカ革命から起こったもので
、それまでは、国家イコール君主の待ちものであった。
ーーーーーーーーーーーー
●モンゴル帝国が作った諸国民は、インド、イラン、中国、
ロシア、トルコ人である、すべて、モンゴル帝国の産物、遺産である、
●モンゴルはウルスという単位で構成され、
それぞれのウルスは、遊牧君主の所領であり、
大ハーンも、自分のウルスしか直営できず、他のウルス内政には干渉できない。
●モンゴル帝国によって、中央ユーラシアの遊牧民は、すべてモンゴル人の社会構成へと
入った。
モンゴルの東半分は清帝国となり、
西半分は、ロシア帝国となる。インドムガール帝国、
オスマン帝国(トルコ、西アジア、北アフリカ)もモンゴル帝国の
継承者である。

●中国という概念も考え直さればならない。
皇帝を中心とする世界で、出身の種族には関係なく
中国人という概念が、できた。
●中国の歴史は、ほとんど中央ユーラシアの遊牧民による
征服王朝である。
●清は、正式なるモンゴルの継承者であり、
中華人民共和国も、このモンゴル帝国の領土の継承者である。

岡田歴史学「世界史の誕生」

●中央ユーラシアの遊牧民が、それまでの世界史に
も影響を与えた、西欧を襲ったのフン族は、中国の匈奴であり、ゲルマン民族の移動を引き起こし、西欧の原型を作った。
一方、東洋では、中国と遊牧民帝国の戦いであり、
現在までの中国の歴史は、ほとんど中央ユーラシアの遊牧民により支配王朝である。
(これに関しては、別途、岡田先生の詳しい本があります。)
●日本の国家成立は、668年を持ってする。
白村江の敗戦によって、世界の孤児に
なってしまった倭人が、当時の日本列島にきていた
華僑といっしょになって、唐、新羅と対抗するために
作った国家である、天智天皇を持って初めての天皇の号を使い
、日本という国号をもち、近江令を持って初めての成文法となる。
(日本史に関しても、別途、岡田先生の本があります。)

●資本主義もモンゴルから始まる。
遊牧民の政治プラス定住型の経済の結合システム
により、治安と交通の便がよくなった。
経済活動が活発化する。信用取引の原理が稼動氏始まる。
世界最初の紙幣も、モンゴルが作った。
以上、モンゴルおよび、その継承国家は
すべて、大陸国家である。つまり、陸上運輸コストが

かかる。それに対して海洋国家は、港を抑え、小さい海軍力でも
制海権を握れる。大量の物資を低コストで
稼動できる。貿易により、大きな利益をうける。

●21世紀の覇権国家は、海洋国家であり、アメリカ、ヨーロッパ、日本である。軍事力を持つアメリカと、歴史で武装した、日本と西欧との対立構図である。

●西欧の大航海時代も、モンゴルにユーラシアを押さえら得たためにポルトガル、スペインが、直接交易を求めてインド洋、東洋にやってきた結果である、しかし、東シナ海は、それより先に、大航海時代に入っていた。
日本人倭寇である。後期倭寇は、中国人がほとんどで
その王が王直である。(鉄砲伝来は彼の仕掛けであると前に書きましたが)

●歴史観としては、ヘロドトスに始まる地中海ー西欧型歴史観と司馬遷の『史記』、司馬光による「資治通鑑」に始まる中国方の歴史の枠組みがある。地中海ー西欧型歴史観は、ヘロドトス、旧約聖書、ヨハネ黙示録が中心的な歴史認識としてあり、アジアを敵として認識している。それがキリスト教とあいまって、異教徒に対する思想となる。

要約です。この本を、是非お読み下さい

イエズス会日本占領計画

イエズス会日本占領計画

「日本占領計画」

1587年5月、イエズス会日本準管区長、ガスパル・コエリヨは、宣教師たちの緊急会議を開く。場所は、平戸の沖合いにある度島の洞窟である。

「日本のキリスタン領主を集めて秀吉に反乱を起こす、イエズス会は軍資金武器を集める。スペイン軍を日本に導入し、軍事要塞を作ること」をガスパル・コエリヨは提案した。

度島http://www.yado.co.jp/ship/f_takusima/
度島地図http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=33.26.26.145&el=129.32.24.304&la=1&fi=1&sc=6

■出展は、「ザビエルの謎」110ページ。

「江戸幕府と東アジア」

イエズス会日本占領計画2「島原の乱」について

さて「江戸幕府と東アジア」には「島原の乱」
いままでと違った説がどんどんでてきます。

1.原城の発掘結果から、島原の乱は、あきらかにキリスタン反乱であった(ページ298)
指導者は、イエズス会影響下のキリスタンである。

2.原城は、廃城ではなく、幕府への届けは、廃城であってが、修復後20年もたっていない城郭建築であった。(ページ299)

3、島原から江戸までより、琉球首里の方が近い。江戸と中国ニンポーと同じ距離である。(ページ294)

4.籠城した約3万7000人。途中で5-6万人が入城していた。この乱の30年前、慶長15年には、日本のキリスト教徒は約175人・人口の約10パーセントであった。(ページ311)

籠城側は、日本全国に援軍を要請した。

5.日本が内乱状態になり、本当の援軍が到着する可能性があった。中国にあるポルタガル領マカオがある。当時のポルトガルのアジア最大拠点である。一揆側の援軍本命はポルトガルではなかったか(ページ311)

6。オランダはそのスペイン・ポルトガル国王ハプスブルグ・フエりぺ2世(スペイン、ポルトガル国王をかねていた)からの独立80年戦争(1581年から)の最中であった。

7.幕府は、オランダ船から原城を攻撃させた。また、同じ時期インド、ゴア沖で、ポルトガルとオランダ艦隊の会戦が行われている。
(ページ312)

8.乱終了後、首謀者4名の首だけは、長崎出島橋、ポルトガル商館前にさらされた。(橋を渡るのはポルトガル関係者のみ)

9.ポルトガル澳門側は、日本征服、アリマ・ナガサキ植民地化は行われなかったが。幕府ーオランダ、一揆ーポルトガルの軍事同盟は明瞭であろう。ポルタガルは日本から放逐され、長崎出島には
軍事同盟者としての役割があるオランダが入った。(ページ316)

以上、まとめ。ぜひこの本「江戸幕府と東アジア」をお読み下さい。

イエズス会日本占領計画

西欧の異民族征服の秘密兵器[海外貿易から読む戦国時代]



この武光先生の本を読むと、東シナ海で大暴れの倭寇の親玉「王直」が、西欧の異民族征服の秘密兵器である鉄砲を伝えた。という感じですね。そして鉄砲に必要な硝石の輸入に一儲け。

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/eastasia/wanchi.htm
王直(おうちょく / ワンチー)がありましたので、利用させていただきます。

で、日本は、東アジアの経済発展の影響を受け、戦国時代。

しかし、東シナ海を通じ、経済交流は大発展。また、戦士の心を持つ大名が、西欧の異民族征服の秘密兵器「鉄砲」の有益性を捉え、西欧の征服の前に、日本の覇権を確立しょうとする。

その大名の名は、無論、織田信長。世界史上に、信長のポジションが明確に示されます。

さて、西欧は、アジアを征服にかからんとするが、日本だけは、秘密兵器「鉄砲」を自己で生産、改良し、戦法までの新しく開発する。

射撃もうまい。刀鍛冶が、鉄砲鍛冶に商売がえ。
日本人のお家芸、特徴である商品改良が働くわけです。とすると、西欧各国も様子を見ますわな。東南アジアにはたくさん日本人も住んでますし。

当時の日本人口も1200万人ですから、はるかに、ポルトガル、スペイン、オランダより多いですわな


イエズス会日本占領計画

「戦争のアート化」イエズス会日本占領計画6●西欧の勃興●マクニール「戦争の世界史」

●565ページの大著である。1982年刊行の本で、日本翻訳は、2002年です。
しかし面白さは保証します。
宋の時代からの西欧と東洋の相違が、明暗を分けた。
なぜ、西欧だけが、この世界の覇権国家群を作り出してきたか。

それは、「戦争のアート化」に拠る戦争のビジネス化、軍事と商業産業の相互作用であると、マクニールは言い切ります。

●15世紀までに、西欧は本当に使える大砲を作り上げます。
それを船にのせると、動く城(砲台)です。これで20世紀まで
航空機と潜水艦の登場まで、西欧軍事勢力の優位性が決まったと書いてあります
。(134ページ)
1465年から77年にフランスとブルゴニュー公国で開発された移動可能な攻城砲は、
子細な改良点を除けば、1840年代までつかわれた。された
西欧は、この攻城砲と火薬を持って火薬帝国となり、世界へ発展していきます。
(搾取していきます)(121ページ)

●中国、宋の時代に、市場経済が発展しかけるが、中国の内部、官僚組織に
より、この動きは封じられます。しかし、この動きはユーラシアの西の端、
西欧において、複数国家の競合するエリアであり、競争原理が働き、
発展していきます。


●動機付けは、専門職化された利益追求集団、つまり商人集団、と専門職業化された暴力集団{アートオブウオー戦争という技術に優れた集団}、つまり軍人階級が、組織暴力の商業化となり1500年から1900年の間、西欧の卓越した、ほかの地域に対する優位となったとします。


20世紀の軍産複合体の前身、「軍事・商業複合体」が民間経済を刺激。

つまり、商人から税金を集めた王侯が、それを資金に戦争を行う。軍人企業家化の支出が、民間経済を刺激、さらに税収が上がる。そして軍事力が高度化する。


●民族、国家など人間集団同士の相互作用が、突発的な変化が起こり歴史が変わる。
ある人間、集団は、食糧をはじめとする生活物資を自分で生産しなくてもいいように、暴力の専門家となる。マクニールの研究対象は軍隊組織である。

兵士、戦士が使う「武装の変化」は、内部制約がなくなり、新しい地理空間が搾取のために広がる。(1ページ)歴史上の「技術と軍隊と社会」の相互作用を、マクニールは、この本で語ります。

イエズス会日本占領計画

イエズス会日本占領計画6●世界史の誕生。岡田英弘歴史学

●岡田歴史学の本を紹介します。
岡田英弘先生の本を読むと
今まで疑問に思ってきたことが
すきっとわかる部分が、かなりあります。

まず[世界史の誕生]
では基本前提です。

●世界史は、モンゴル帝国とともに始まった。

●民族という概念は、19世紀に発生した新しいもの。
国家の概念も、フランス、革命、アメリカ革命から起こったもので
、それまでは、国家イコール君主の待ちものであった。
ーーーーーーーーーーーー
●モンゴル帝国が作った諸国民は、インド、イラン、中国、
ロシア、トルコ人である、すべて、モンゴル帝国の産物、遺産である、
●モンゴルはウルスという単位で構成され、
それぞれのウルスは、遊牧君主の所領であり、
大ハーンも、自分のウルスしか直営できず、他のウルス内政には干渉できない。
●モンゴル帝国によって、中央ユーラシアの遊牧民は、すべてモンゴル人の社会構成へと
入った。
モンゴルの東半分は清帝国となり、
西半分は、ロシア帝国となる。インドムガール帝国、
オスマン帝国(トルコ、西アジア、北アフリカ)もモンゴル帝国の
継承者である。

●中国という概念も考え直さればならない。
皇帝を中心とする世界で、出身の種族には関係なく
中国人という概念が、できた。
●中国の歴史は、ほとんど中央ユーラシアの遊牧民による
征服王朝である。
●清は、正式なるモンゴルの継承者であり、
中華人民共和国も、このモンゴル帝国の領土の継承者である。

岡田歴史学「世界史の誕生」

●中央ユーラシアの遊牧民が、それまでの世界史に
も影響を与えた、西欧を襲ったのフン族は、中国の匈奴であり、ゲルマン民族の移動を引き起こし、西欧の原型を作った。
一方、東洋では、中国と遊牧民帝国の戦いであり、
現在までの中国の歴史は、ほとんど中央ユーラシアの遊牧民により支配王朝である。
(これに関しては、別途、岡田先生の詳しい本があります。)
●日本の国家成立は、668年を持ってする。
白村江の敗戦によって、世界の孤児に
なってしまった倭人が、当時の日本列島にきていた
華僑といっしょになって、唐、新羅と対抗するために
作った国家である、天智天皇を持って初めての天皇の号を使い
、日本という国号をもち、近江令を持って初めての成文法となる。
(日本史に関しても、別途、岡田先生の本があります。)

●資本主義もモンゴルから始まる。
遊牧民の政治プラス定住型の経済の結合システム
により、治安と交通の便がよくなった。
経済活動が活発化する。信用取引の原理が稼動氏始まる。
世界最初の紙幣も、モンゴルが作った。
以上、モンゴルおよび、その継承国家は
すべて、大陸国家である。つまり、陸上運輸コストが

かかる。それに対して海洋国家は、港を抑え、小さい海軍力でも
制海権を握れる。大量の物資を低コストで
稼動できる。貿易により、大きな利益をうける。

●21世紀の覇権国家は、海洋国家であり、アメリカ、ヨーロッパ、日本である。軍事力を持つアメリカと、歴史で武装した、日本と西欧との対立構図である。

●西欧の大航海時代も、モンゴルにユーラシアを押さえら得たためにポルトガル、スペインが、直接交易を求めてインド洋、東洋にやってきた結果である、しかし、東シナ海は、それより先に、大航海時代に入っていた。
日本人倭寇である。後期倭寇は、中国人がほとんどで
その王が王直である。(鉄砲伝来は彼の仕掛けであると前に書きましたが)

●歴史観としては、ヘロドトスに始まる地中海ー西欧型歴史観と司馬遷の『史記』、司馬光による「資治通鑑」に始まる中国方の歴史の枠組みがある。地中海ー西欧型歴史観は、ヘロドトス、旧約聖書、ヨハネ黙示録が中心的な歴史認識としてあり、アジアを敵として認識している。それがキリスト教とあいまって、異教徒に対する思想となる。

要約です。この本を、是非お読み下さい

日本史ー戦国物語

日本史ー戦国物語

日本史ー戦国物語試み案

第1回
●日本は、アジアの東のフロンテイア(新天地)であった。ユーラシア大陸の民族移動の
中、また、アジア大激動の中、騎馬民族(トルコ、ペルシャなど)、中国、韓
などの政治闘争、戦争などで、亡命あるいあhあるいは、移住してくる人間
を受け入れていた。ある意味で、昔のアメリカ合衆国である。そのフロンテイアで
ある移住してきた民族は、昔から住んでいた大和民族と
ひとつの国家とまとまっていった。

国家建設の、より、大きなきっかけは、「白村江の敗戦」(663年)である。
大和朝廷は、中国の制度を取り入れながら、独自の政治形態、文化を創り始まる。
諸民族の連合国家であるゆえに、変化に対する適応能力は高い民族、国家として
まとまっていった。

日本の国土は、日本国家のものであったが、支配階級の貴族は、自分たちが都合のよいように法を
みづから無効化し、土地を私有化しはじめる。国家財政はこれにより
傾き始める。その間も大和政権は、日本の東北への侵略戦争を開始し、その政治範囲を
増やしていく。その軍事は、蝦夷討伐のための征夷代将軍に任せれれていた。
天皇ー摂政藤原氏の2重構造の権力機構が成立するが。

関東ー東国には、渡来人に加えて、天皇につながる源氏、平家の武装開墾団(武士)が
が力をつけまじめ、みづからの土地所有権を主張しはじめる。
血統のよい「土地私有権の主張者」たちの代表(源頼朝)は、天皇の宗主権はそのまま、みづからの政権を樹立することに成功する。

この鎌倉幕府から、江戸幕府まで、征夷大将軍が政権をにぎる長い「将軍の時代」が始まる。
この時期、13世紀、人類史上最初の世界大戦であるモンゴル戦争(モンゴル対仏教対イスラム)が起こるが,武士の活躍と天候の影響で、辛くも、世界を一時期支配した「タタールのくびき」からは逃れる。元寇。しかしユーラシア世界は、モンゴル帝国によってはじめて統一される。

16世紀のアジアへのスペイン、ポルトガルの攻勢にあたっては、日本史上、最大の
変革者、織田信長の時代であり、100年間つづく、戦国時代で、武器能力戦闘能力は
世界のトップクラスにあった。織田信長は天下布武をテーマに日本を統一しょうとしていた。
宗教的権威など古い日本の旧体制を力づくで滅ぼそうとしていた。

第2回
当時の最新兵器で、西欧の植民地獲得戦争に需要な秘密兵器である「鉄砲」は
、当時の中国海商(倭寇)、王直のたくらみにより、伝来した可能性は高い。
(王直は、火薬に必要な硝石の輸入で儲け、本拠地を日本の五島列島に移した)
鉄砲は、適応能力の高い日本人によって改良され、戦法も開発された。西欧各国は
日本人の戦闘能力が一層あがり、出鼻をくじかれる。

1540年くらいから朝鮮の銀市場は混乱を起こしていた。
なぜなら、石見銀山(現島根県)で発掘される銀は、一時,世界の1/3をの量を産出するほどの埋蔵量があり。貿易の限界をこえつつあった。中国、欧州においても、日本銀(石見銀山)の名はなりひびくようになっていった。

南シナ海では、日本人、中国人、ポルトガル人、イスラム商人など
炊く国籍の海賊がいりみだれ、貿易や闘争が繰り返されていた。
一種の独立的な協栄圏(海上王国)が存在していた。

ハプスブルグスペインは、マニラを押さえ、国王フエリペにちなみ、国名をフイリッピン(1571年から)とした。ポルトガルはマカオをおさえ。オランダは、ジャワを領有し、また、台湾にゼーラジア城を建設した。

信長の後を受けた秀吉は、ポルトガル、スペインが、中国大陸を狙っている事にきづき、先手を打って中国、フイリッピン、台湾への侵攻計画を考えていた。

日本統一過程で、九州征伐についた秀吉は、長崎がイエズズ会に領有され要塞化が進んでいることや、九州を中心に、キリスト教徒が増えている事に危惧をいだき、キリスト教禁教を宣言する。

当時の日本人口1200万人で、公式には約70万人である。(別統計では約300万人いたとう
資料も。オランダの人口が1500年100万人1600年200万といわれている。)十字架(クルス)の旗の下に戦っていた秀吉下の大名にも棄教を命令する。

朝鮮侵攻は、秀吉の死で、休戦におちいったが、伏見城は、大東亜支配のために根拠地として設けられた城であり、名護屋城(現佐賀県)は、前線基地の城であった。


日本史ー戦国物語

第3回
徳川家康によって江戸幕府は成立するが、外国人協力ブレーンとしてスペイン、ポルトガルと世界で覇権を戦っていたイギリス、オランダ人をその政府顧問とした

1637年、元はキリスト教大名小西行長の領地であった島原でキリスト教徒の反乱が起こった。キリスト教徒は、日本各地にのこるキリスト教徒と、マカオ、など外国への支援の密使を贈る。
江戸幕府は、対抗するために、スペインとは独立戦争中であるオランダの協力を得て、島原キリスト教反乱軍に対して、江戸幕府と軍事同盟を結んだオランダ船の艦砲射撃を行う。

乱の後、1639年鎖国は完成するが、4つの口を用意していた。
長崎(オランダ、中国)、松前(蝦夷地)、薩摩(琉球王国)、対馬(李氏朝鮮)
自国民の海外渡航は禁止された。このため、東南アジアに当時2万人いたといわれた日本人、そして日本人町は順次消滅していった。

1853年、アメリカのペリー艦隊の出現で、日本は新しい時代になる。
今までは、中国を文化政治の源と考えてお手本として当地してきたが、この事件以降、アメリカ・イギリスなど西欧国家を手本とする大変換した。鎌倉幕府(1192-1333)室町幕府(1336-1573)江戸幕府(1603-1867)という、鎌倉から始まった武家政治は、自らの武士階級消滅という革命を経て近代国家へと生まれ変わった。新しい渡来人である西欧人から
国家体制、経済、文化などを習い、みずからの日本に会うものと消化していく。
西洋・日本文化の混合的な国家となる。

4回
このように遅れて登場した擬似西欧国家(精神は神国)だったが、世界植民地獲得の時代が
おわりつつあり、ナポレオン戦争以後のウイーン体制を保持していた西欧各国もその相互戦争で国力を消耗させた。第1次、第2次世界大戦の30年戦争(1914-1945年)である。

ロマノフロシア(1613ー1917)、ハプスブルグオーストリア
(1438-1918)、オスマン帝国(1299-1922)、ドイツ帝国(1918)
清(1636-1911)などの古い帝国が解体していった。第1次大戦後は東欧で、第2次世界大戦後は、西欧の植民地が独立していった。

神としての天皇を中心とする日本帝国であったが、植民地解放のテーマを掲げたが、東南アジア各国の協力は無理強いとなりがちで、西欧やアメリカとの
石油資源戦争に、物量、総合戦略能力の差はいかんともしがたく敗北し、アメリカの支配下にはいる。
1951年、独立国として復権されるが、世界の覇権国家となったアメリカとの関係調整が、国家戦略の要(軍事同盟、基地貸与など)となり現在にいたる。

●無論、キリスト教を無論、批判しているわけではありません。